論理的に考えることは常識的でない?
こんばんわ。
ぽです。
よく物事を論理的に考えなさいと言われることがあります。
しかし、論理的に考えるとは、どういったことなのか。
公務員の世界で働いていますが、政策を考える上での思考方法に違和感を感じています。
私の職場では、統計的データなどを扱ったことがない人間が経験に基づくように偽装した主張を繰り返しているように見えます。
そこで、論理的に考えるとはどうったことなのか個人的な考えについてまとめました。
論理的に考えることと常識的に考えることは別
例えば
『大学教授は知識人である』という文章は常識的な考え方に基づくものですが、
論理的ではありません。
大学教授の中には知識人とは言えない人もいる可能性があるからです。
『大学教授は大学生を教えている』は論理的です。
大学教授であれば大学生を教えているはずであり、論理的と言えます。
論理的とはあらゆる可能性を許容する
先ほどの、大学教授の例の通り、常識的に考えると大学教授には知識人ではないという可能性は否定されやすくなりますが、論理的には否定することはできません。
常識的な考えとは何か。
常識的な考え方というのは、今までの経験に基づいて蓄積された考え方です。
大学教授のほとんどが研究をして、知識を有している場合が多いという経験に基づいて、大学教授は知識人であるという結論を導き出すことができます。
経験に基づく主張(帰納法)はあやうい
世の中のこうすべきであるという主張をする場合、多くの場合は、経験やデータに基づくものが多いです。
経験に基づく主張は、これまでなかった経験が現れたとたんに、危うくなるという弱点があります。
また、公務員の世界では、政策などを考える際に統計学などの知識を有していないものが、経験により得た根拠を使うことにより、自分勝手な主張がまかり通っています。
『経験』に基づくのでれば『経験』という魔物をあやつる作法を知る必要がある
『経験』とは過去に起こった事象の集合です。
ここから何を引き出すことができるのかは、恣意的に決まるといえば、確かにその通りですが、ある程度のルールをまもる必要があります。
統計学などの数学的知識なしに恣意的に、『経験』から法則を導き出し、主張の根拠とすることは慎むべきだと思います。
『経験』というデータを扱うために『統計学』を勉強しようと思う
ということで、まだまだ、勉強が足りないので統計学の勉強をしようと思います。
そんなこんなで、最近、ふと考えていることを、まとまりなく書いてみました。
それでは。